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22 December

「塔」シリーズ


ラプンツェルは塔に閉じ込められ、バベルの塔は崩壊し、タロットでは正・逆位置どちらもネガティブな意味合いをもつ塔というものは、いつか崩れることを予感させるような、どこか不穏な雰囲気を人に与える存在のようです。
このシリーズで描こうとする塔とは、2つの塔からなるシリーズとしています。ひとつは送電線の鉄塔、ひとつは象牙の塔(のような首)とを女性を重ね合わせたイメージを描いています。

 
私の現在のアトリエ近くには、送電施設があるために送電線の鉄塔がはるか遠くまで無数に立ち並んでいます。その風景は私が子供の頃から変わらず、地元では電柱しか見たことのなかった田舎の子供にとってはインパクトのあるものでした。夕方から夜になると、赤く点滅する光も非日常的で印象深いものでした。
私たちの頭の上には暗闇を照らしいつでも見守るように、電球、電灯が浮かんでいます。夜が明るくなること以外でももちろん、電気の存在は私たち様々な豊穣を与え続けています。
その電気を送るために、たくさんの腕を広げ大地に立っている大きな女性、私たちを頭上から見おろす地母神のようなイメージ、なくてはならないライフラインを司っていると同時に握られているという畏怖畏敬、それが送電鉄塔に対して私が抱くイメージでした。
 
象牙の塔(仏:la tour d'ivoire)、とは「ソロモンの雅歌」74節の「なんじの首は象牙の塔の如し」から女性の美しさを称える言葉でした。それを「象牙の塔にこもる」という言い回しで文芸批評家サント・ブーブが詩人ビニーの態度を批評したことで、転じて現実からかけ離れた夢想、学者や芸術家が周りの社会と関わらず閉じこもって研究に耽る様子やその研究室の比喩として使われるようになりました。
細く長い首、というのは私の記憶の象徴です。私の母は細くて長い首であり、弟がそれを引き継ぎました。私は細くて長い首、母に似た容貌が欲しかったし、周囲からもそう見られていたかったのです。しかしそれはどう望んでも手に入りませんでした。
そして現在の私はと言えば、物理的にも精神的にも象牙とはほど遠い粗末な塔を日々築き、閉じこもって絵を描くことばかりしているわけです。それらを取り合わせたイメージが私にとっての象牙の塔なのです。






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