忍者ブログ
21 December

レースというモチーフ

私の作品にレースが初めて描かれるのは「ラングイディア姫」からです。

それまで、私はレースを含めて布という素材を描くことがとても苦手でした。

技術的な話としてはそういう背景を持ちますが、ではレースやフリルというものが私にとってどういう意味をもつモチーフかと言えばとても矛盾した相反する感情を想起するものなのです。

 

子供の頃、私は母の選んだ洋服の中でレースの付いている服やタイツが大嫌いでした。

見た目はどれもとても可愛いものなのですが、私は基本的に肌触りが悪かったり体を締め付けたり、動きを制限する服が嫌いでした。

ですので、レースが肌に触れるとかゆくてスカートを穿いたらめくれないように気を遣い、タイツは伝線しないように大人しくしなければならない…そういう女の子らしい服が嫌いでした。

しかし、レースやフリルの付いた服に対する憧れがない訳ではなく、それこそ今の私が言うには恥ずかしいばかりですが童話の挿絵に登場するお姫様のようなドレスに憧れていました。

逆に中学・高校の頃私は自分が女性であること(育つこと)が嫌でたまらなくレースやフリルの付いた物をとことん嫌っていました。

そういう過去によって、私のレースに抱くイメージというものが作られているのです。

 

レースというものは、現在は主立って女性が身に付けるものであり機能性はほとんどなく装飾のために使われます。

手編みのレースと機械編みのレースはどちらにも違った魅力があり、特に古い手編みのレースは時折高額で取引されたりもするそうです。

そして古くは男性も女性も、特に贅沢品の一つとして身体を飾ってきました。

それでも現代に育った私にとっては、レースというものが女性らしさの象徴の一つなのかもしれません。

仮にレースが女性らしさの象徴であるならば、それは私を生まれたときから制限し、縛り付けてきました。

それは物理的に精神的に社会的に全ての意味で、です。

 

けれど、その事実を私は吐き気がするほど嫌悪し、その反面喜ぶとまでは行きませんがむしろ望んでそうしている気がしているのです。

レースというモチーフが私に呼び起こす相反する感情とは、答えが出ないと分かっている思考の迷路へ私を連れ込む物の一つなのです。

PR